奥の細道紀行[40]
投稿日:2016年10月6日
不滅の法灯が灯る「立石寺」
尾花沢のおもだか温泉を出発。芭蕉の足跡を追って天童から山寺へ。
JR仙山線の山寺駅近くの駐車場にスズキST250を停めると、食堂や土産物店の並ぶ参道を歩き、立石寺を参拝する。
山寺の全山は天台宗の古刹、立石寺の寺域。その中に点在する8院の総称が立石寺になる。奥の院のある山は見上げるほどの高さで、断崖がそそりたっている。
立石寺入口から石段を登って、まずは本堂的存在の根本中堂で手を合わせる。古色蒼然とした堂内には不滅の法灯。開祖慈覚大師(円仁)が比叡山延暦寺から移したというその灯は、1200年もの間、消えることなく燃えつづけている。根本中堂には本尊の薬師如来像がまつられている。
境内の芭蕉像と芭蕉の句碑を見たあと、茶店で名物の「力こんにゃく」を食べ、気合を入れて奥の院を目指す。山門をくぐり1100余段の石段を登っていく。
姥堂を過ぎると蝉塚。芭蕉の書いた短冊がこの中にあるという。巨大な百丈岩、弥陀洞を過ぎると仁王門。ここからは急な石段になる。観明院、性相院から金乗院へ。その東側にある「胎内巡り」をして中性院、そして奥の院へ。大汗をかいての到着だ。
さらに開山堂から五大堂へ。展望台からは山寺を一望。目の前に迫ってくる天華岩の断崖絶壁が迫力満点だ。
山形領に立石寺という山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。一見すべきよし、人々の勧むるによりて、尾花沢よりとつて返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず。麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る。岩に厳を重ねて山とし、松栢年旧り、土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉じて物の音聞こえず。岸を巡り、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂莫として心澄みゆくんのみおぼゆ。
閑かさや岩にしみ入る蝉の声
「岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂莫として心澄みゆくのみおぼゆ。」
とあるように、芭蕉も同じようにして奥の院を登り、この眺望を心ゆくまで楽しんだことだろう。
曽良の「随行日記」では「尾花沢→山寺」間は次ぎのようになっている。
廿七日 | 天気能。辰ノ中刻、尾花沢ヲ立テ、立石寺へ趣。清風ヨリ馬ニテ舘岡迄被送ル。尾花沢二リ、元飯田一リ、舘岡一リ、六田二リ、天童。山寺未の刻ニ着。是ヨリ山形ヘ三リ。宿預かり坊。其日、山上山下巡礼終ル。山形へ趣カントシテ止ム。是ヨリ仙台ヘ越路有。関東道九十九里余。 |
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芭蕉は尾花沢から舘岡までは清風の用意してくれた馬に乗っていったことがわかる。「尾花沢→天童」間の元飯田、舘岡、六田は『ツーリングマップル東北』にもそれぞれの地名がのっているが、「元飯田」は「本飯田」に、「舘岡」は「楯岡」になっている。
曽良の「随行日記」でわかることは、芭蕉は山寺から山形までは行きたかったようで、片道3里(約12キロ)、往復6里(約24キロ)の距離を思うと断念したようだ。
さてカソリだが、立石寺の参拝を終えると、山寺からJR仙山線の面白山高原駅を目指してST250を走らせた。紅葉で知られる紅葉川の渓谷を抜け出ると面白山高原駅に到着だ。そこからゆるやかな峠を越え、天童高原へ。広々とした牧場が広がっていた。
天童高原から天童に下ると、再度、山寺へ。立石寺を一望する「ますや」という店で昼食にする。ニジマスの「塩焼き定食」を注文すると、店の奥さんは養殖池に行って網でニジマスをすくい取り、それから焼いてくれた。何ともゆったりとした時間の流れではないか。心に残る山寺の昼食だった。