東北四端紀行[7]
投稿日:2017年2月3日
南端編 7 3つ目の明神峠へ
国道294号の芦野から道の駅「東山道 伊王野」のある伊王野へ。伊王野からは古代日本の官道の東山道に相当するルートで再度、福島県境に向かっていく。相棒のスズキDR−Z400Sで旧街道を行く。
戸中峠を越えて棚倉に通じる県道60号と分岐すると、東山道の県道76号を行く。伊王野から10キロほどで栃木・福島県境の明神峠に到着。この峠が関東と東北を結ぶ最古の峠になる。
明神峠には「追分の明神」がまつられている。もともとはここも「境の明神」といわれていたようだ。国道294号の明神峠と同じように関東側には玉津島神社がまつられている。かつては奥州側には住吉神社があったという。峠には「従是北白川領(これより北は白河領)」と彫り刻まれた石塔が立っている。
関東と東北を結ぶ最古のルートで福島県に入ると、県道76号を下っていく。明神峠から3キロほどで「白河関址」に到着。ここは太平洋側の勿来関、日本海側の念珠関と並ぶ「奥州三関」のひとつ。古代日本の北方警備の最前線だった。白河関址には白河神社がまつられている。白河藩主の松平定信の「古関蹟」もある。定信が「この場所こそ、白河の関があったところですよ」とお墨つきを与えた碑、それが「古関蹟」だ。
芭蕉の「奥の細道」でも白河関は重要なポイント。
「心もとなき日数かさねたるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ」
と、「おくのほそ道」でそう書いている。
芭蕉は白河の関を越えて、「さー、みちのくだ〜!」と気持ちを新たにした。ここには「芭蕉碑」もあるが、それには曽良の随行日記が記されている。
「白河関址」前の食堂「やたべ」で「手打ち中華」を食べた。縮れ系の幅広麺にはしっかりとした腰がある。ちょっと不ぞろいなのがまた好ましい。醤油味のさっぱり系スープ。2枚のチャーシューがなかなかの味だった。
「白河関址」を過ぎるとすぐに旗宿の集落。ここは東山道時代の宿駅。旗宿から県道280号を行ったが、県道沿いの郵便局は「古関郵便局」だし、「和泉式部庵跡」などもあって、「さすが古道」と思わせるものがあった。この県道280号からわずかに入った谷中温泉「谷中の湯」に入っていく。超ディープ系の温泉。温泉宿の案内板、看板は一切ないのでみつけるのが難しい。小さな湯船。若干のにごり湯。湯口は赤茶けてただれている。地元の人にいわせると、じつによく効く湯だという。
ここを最後に国道289号で白河へ。白河ICから東北道で東京に戻った。