カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

東北四端紀行[31]

投稿日:2017年3月27日

北端編 11 幻の十三湊

2009年9月10日〜10月9日

日本海を見ながら快走路を行く

日本海を見ながら快走路を行く

雄乃湯温泉「雄乃湯」に入る

雄乃湯温泉「雄乃湯」に入る

 小泊半島の下前漁港から快適なシーサイドラインを走って国道339号に合流し、国道の左手の高台にある雄乃湯温泉「雄乃湯」(入浴料390円)に入った。浴室からは日本海の海岸線を眺める。その向こうに岩木山。津軽富士の岩木山はまるで海に浮かぶ大島のように見えた。湯につかりながら海を眺めるというのはいいものだ。

十三湖

十三湖

ここが岩木川の河口

ここが岩木川の河口

十三湖の食事処「岩亮」

十三湖の食事処「岩亮」

食事処「岩亮」の「シジミラーメン」

食事処「岩亮」の「シジミラーメン」

 国道339号を南下。日本海の潮風に吹かれながら、相棒のスズキDR−Z400Sを走らせる。国道339号から県道12号に入り、直線路を走って十三湖へ。

 十三湖は岩木川河口の汽水湖。十三湖のシジミといえば名産品だ。

 十三湖の十三湊(とさみなと)は、中世の日本の十大港、「三津七湊」のひとつに数えられた。「三津」は安濃津(三重)、博多(福岡)、坊津(鹿児島)の3港で、「七湊」というのは三国湊(福井)、本吉湊(石川)、輪島湊(石川)、岩瀬湊(富山)、今町湊(新潟・今の直江津港)、土崎湊(秋田)、十三湊(青森)の7港になる。「七湊」はすべて日本海の港で、当時の日本にとっては日本海航路がいかに重要だったかがよくわかる。

 十三湊は当時は北国第一の港。安東氏の国際貿易港として繁栄を謳歌した。日本海航路の拠点であっただけでなく、日本海を越えて朝鮮半島や中国大陸、ロシアの沿海州、さらには樺太や千島列島とも盛んに交易をしていた。安東氏の安東船は500隻を超えていたという。東北北端のこの地には華麗な「安東文化」が咲き誇っていた。それが1340年8月の大津波で十三湊は一瞬にして壊滅的な被害を受け、死者は10万人を超えたという。それ以降、十三湊が歴史の表舞台に登場することはない。今の十三湊の町並みは、十三湖と日本海の間の県道12号沿いに細長く延びているが、当時の栄耀栄華を偲ばせるものは何もない。

 県道12号は十三湖から流れ出る岩木川を十三湖大橋でまたいでいる。その十三湖大橋の下をくぐり抜けて、「津軽の母なる流れ」岩木川の河口まで行ってみる。DRを停めると河口から北側に延びる砂浜を歩いたが、ついさきほど登った小泊半島の権現崎がよく見えた。岩木川の河口から県道12号に戻ると、食事処「岩亮」で名物の「シジミラーメン」(700円)を食べるのだった。

鰺ヶ沢に近づくと岩木山が大きく見えてくる

鰺ヶ沢に近づくと岩木山が大きく見えてくる

鰺ヶ沢の干イカ

鰺ヶ沢の干イカ

 十三湖から広域農道の「メロンロード」を南下。鰺ヶ沢に近づくと岩木山が大きく見えてくる。国道101号に合流すると鰺ヶ沢へ。町の入口には焼きいかの店が並んでいる。そのうちの「葛西商店」で焼きいかを食べた。ここでは以前にも食べたことがあったが、店の主人はぼくのことを覚えてくれていたのがうれしい。鰺ヶ沢の中心街に入り、漁港前の海の駅「わんど」でDRを停めて小休止。鰺ヶ沢からは国道101号で県境を越え、秋田県の能代に向かうのだ。

鰺ヶ沢の「葛西商店」「葛西商店」の「焼きいか」鰺ヶ沢漁港前の海の駅「わんど」

鰺ヶ沢の「葛西商店」 「葛西商店」の「焼きいか」 鰺ヶ沢漁港前の海の駅「わんど」

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