奥州街道を行く! [14]
投稿日:2017年5月16日
石川啄木の故郷
盛岡を出発。奥州街道を北へと、スズキDR−Z400Sを走らせる。
津軽街道(国道282号)と分岐する滝沢に近づくと、奥州街道の名山、岩手山(2038m)が大きく見えてくる。岩手山は岩手富士とか南部富士、南部片富士といわれる東北を代表する郷土富士だ。
盛岡宿の次の渋民宿に到着。ここは石川啄木の故郷。渋民では「石川啄木記念館」(入館料450円)を見学。館内をひとまわりすれば啄木の生涯がよくわかる。敷地内には啄木が代用教員を務めた旧渋民尋常小学校の校舎が移築されて残っている。その隣りには旧斉藤家の住宅がある。この木造の建物も移築されたものだが、啄木は渋民尋常小学校の代用教員時代、家族とともにこの家に間借りしていた。
「石川啄木記念館」の隣りには宝徳寺がある。啄木一家は明治20年(1887年)に隣村の日戸村にある常光寺からこの寺に移り住んだとのことで、啄木は18歳になるまでこの寺で過ごした。「啄木」のペンネームも、寺の境内の樹林をたたく啄木鳥(きつつき)に由来したものだという。
宝徳寺の本堂の前には啄木の詩碑が建っている。それとは別に、境内の一角には「ふるさとの寺の畔の ひばの木の いただきに来て鳴きし閑古鳥!」の歌碑が建っている。
「石川啄木記念館」とは奥州街道(国道4号)をはさんだ反対側にある「渋民公園」にも
やわらかに柳あをめる
北上の岸邊目に見ゆ
泣けとごとくに
と、彫り刻まれた歌碑が建っている。
渋民公園からは北上川の向こうにそびえる岩手山が大きく見える。奥州街道の中では、このあたりからが岩手山に一番、近い。
渋民で生まれた石川啄木と花巻で生まれた宮沢賢治。岩手を代表する2人の文人はともに奥州街道沿いで生まれ育った。これは偶然のことではないと思う。街道を通して入ってくる文化に小さい頃から慣れ親しみ、街道を通してより大きな世界を感じとっていたからではないかとぼくは思っている。