ジクサー150分割日本一周[26]
投稿日:2020年6月20日
中国一周編 16(2017年3月4日)
長門の二宮「忌宮神社」
JR山陽本線の長府駅前でジクサー150を止める
長府駅前の長府の案内図
長門の二宮、忌宮神社にやってきた。ここは長門の国府跡
忌宮神社の神門
忌宮神社の神門をくぐり抜ける
忌宮神社の拝殿
忌宮神社を参拝
国道2号で周防から長門に入ると、厚東、厚狭、小月を通り、JR山陽本線の長府駅前でジクサー150を止めた。「長府」の地名通りで、ここは長門国の国府所在地。駅前の長府の案内図を見て、「長府探訪」を開始する。長府の町並みは、長府駅からはさらに国道2号を走ったところにある。国道2号からわずかに入ったところが長府の町並みだ。
長府の古い町並みに入ると、まずは長門の二宮の忌宮神社に行く。立派な造りの神社。ここが長門の国府跡だといわれている。境内には長門国の国衙(国府の政庁)が置かれた。長府には国分寺跡があるし、総社もある。町の西端の覚苑寺のあるところには鋳銭所が設けられ、日本最古の和銅開珎が鋳造されたという。
忌宮神社の案内板には次のように書かれている。
忌宮神社は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祭神とする式内社。この地は仲哀天皇が熊襲征伐のため7年間にわたり仮の皇居とされた豊浦宮跡だといわれ、宮に付属して斎宮を建て神祇を祭られたのが忌宮の起こりだと伝えられている。また仲哀天皇が崩御され、その御遺体がここより南方の土肥山に仮埋葬され、神霊を鎮祭し豊浦宮と称した。のちの聖武天皇の神亀5年、筑前国橿日宮から神功皇后の神霊を勧請して忌宮と称し、さらに応神天皇を祀り豊明宮と称した。三殿別立の古社であったが、中世における火災で豊浦宮と豊明宮が焼失し、忌宮に合祀し、一殿になった。数度の兵乱や火災により社殿の消失をみたが、大内・毛利両氏の崇敬は篤く、その都度、社殿の造営改築が行われた
忌宮神社の参拝を終えると、城下町長府の武家屋敷街をジクサー150で走る。
近世の長府は毛利長府藩5万石の城下町。大型トラックが轟音とともに行き来する国道2号の喧騒や近くには臨海工業地帯があることも、すっかり忘れさせてしまうような静かさと落ち着きが、城下町の長府にはあった。
Category: ジクサー日本一周