カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[29]

投稿日:2020年6月25日

中国一周編 19(2017年3月4日)

日本の終着駅

「東横イン」から見る夕暮れの下関

「東横イン」から見る夕暮れの下関

「東横イン」を出発。夜の下関を歩く

「東横イン」を出発。夜の下関を歩く

 下関での宿は下関駅に近い「東横イン」。チェックインしてシャワーを浴びたところで、夜の下関の町に出る。

 まずは下関駅に行く。下関駅といえば昭和17年(1942年)に関門海底トンネルができるまでは、日本の終着駅だった。旧下関駅は今の駅とは別なところにあって、800メートルほど東になる。終着駅にふさわしい立派な建物だった。今の門司港駅の駅舎のようだったという。そこからは関門海峡の対岸に門司の町並みが見える。その背後に連なる企救半島の山並みも一望できる。旧下関駅は関門航路、関釜航路の桟橋につながっていた。手前に関門航路の埠頭があり、その先に関釜航路の埠頭があった。

 戦前の第75帝国議会では、東京駅と下関駅を結ぶ「弾丸列車計画」が議決された。総工費5億6000万円という、当時としては膨大な巨費を投じ、昭和15年(1940年)に着工し、15年後の完成を目指した。最高時速200キロの弾丸列車が「東京〜下関」間を9時間で結ぶはずだった。戦争で「弾丸列車計画」は頓挫したが、それが今の新幹線につながっている。

 下関駅前には「平家踊りの群像」が建っている。平家は壇之浦の合戦で源氏に敗れ去ったが、関門海峡を目の前にする赤間神社は、源平の合戦で壇之浦の藻屑と消えた幼い安徳天皇を祀っている。平家一門の墓や耳なし芳一像もある。明治以前は神仏混淆で、阿弥陀寺といった。町名は今でも阿弥陀寺町だ。

 下関駅からは横断歩道橋で反対側に渡ったが、その下を通る道は国道9号。ここが京都と下関を結ぶ国道9号の終点になる。JR山陽本線のガードをくぐったところからは国道191号になる。なお小郡から下関までの準高速道路のような道は、国道2号と国道9号の重複区間になる。

 国道9号にかかる横断歩道橋を渡り、釜山門をくぐり抜けてネオン街へ。さすが「フグの町」下関だけあって、すぐにフグ料理の店が目に入る。下関ではフグのことを「フク」というので、暖簾には「ふく料理」と書かれている。下関に来たからにはフグを食べたかったが、大衆食堂の「一善」に入った。まずは生ビールをキューッと飲み干す。2杯目を飲み干したあとで、アサリの「貝汁定食」を食べるのだった。

夜の下関駅下関駅前の「平家踊りの群像」下関駅前を通る国道9号

夜の下関駅 下関駅前の「平家踊りの群像」 下関駅前を通る国道9号

下関駅前の釜山門をくぐる下関のフグ料理の店下関のネオン街

下関駅前の釜山門をくぐる 下関のフグ料理の店 下関のネオン街

下関の大衆食堂「一善」に入る大衆食堂「一善」のメニュー大衆食堂「一善」の「貝汁定食」を食べる

下関の大衆食堂「一善」に入る 大衆食堂「一善」のメニュー 大衆食堂「一善」の「貝汁定食」を食べる

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