ジクサー150分割日本一周[64]
投稿日:2020年8月10日
壱岐の二宮「聖母宮」
壱岐の一宮、天手長男神社の参拝を終えると、郷ノ浦から国道382号を北上。この「島国道」の国道382号は唐津と壱岐、対馬を結んでいる。起点は対馬北端の比田勝。対馬を縦断し、厳原から壱岐北端の勝本へ。勝本からは郷ノ浦を通り、印通寺港から国道フェリーで佐賀県の呼子に渡る。国道204号と合流し、唐津の国道202号との交差点が終点になる。「島国道」はこのように島のみならず、本土側にも、同じルートナンバーの短い区間がある。
壱岐から本土へのフェリーは以前は「印通寺港〜呼子港」。それが今は「印通寺港〜唐津東港」になっている。壱岐から対馬の厳原港へのフェリーは、郷ノ浦港と芦辺港から出ている。
国道382号で旧勝本町に入ると、住吉神社のある住吉を通り、勝本の町に入っていく。「ケンサキイカ」で知られる勝本漁港でジクサー150を止めたが、ここが壱岐島内の国道382号の終点になる。
勝本では海沿いの道を走り、聖母宮を参拝。その名前からキリスト教と関係があるのかなと勝手に想像したが、まったく関係なかった。
聖母宮の読みは「しょうもぐう」で、壱岐の二宮になっている。
祭神は息長足姫(いきながたらしひめ)尊と足仲彦(たらしなかつひこ)尊、それと上筒男尊、仲筒男尊、底筒男尊の住吉三神。息長足姫尊は神功皇后、足仲彦尊は仲哀天皇のことだ。
神功皇后は「三韓征伐」の際、この地で風待をした。その時に行宮を建てたのが聖母宮の起源になっている。神功皇后は風待のおかげで順風の追い風を受けたので、この地を風本と名づけた。「三韓征伐」で大勝利を収めた神功皇后はこの地に凱旋すると、今度は風本を勝本に改めたという。ここには神功皇后が乗馬した際の足跡が残されているという「馬蹄石」がある。
時代が下り、元寇の「文永の役」(1274年)では、元軍はこの地に上陸した。豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年〜1597年)の際には、加藤清正は聖母宮に正門を奉納した。日本と朝鮮半島の間で重要な役割を果たしてきた壱岐の勝本だ。