カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[73]

投稿日:2020年8月25日

九州一周編 21(2017年4月23日)

『忘れられた日本人』の舞台

厳原の町の案内図

厳原の町の案内図

厳原から県道24号を行く

厳原から県道24号を行く

県道24号から見る厳原の町

県道24号から見る厳原の町

豆酘湾の浅藻の家並み

豆酘湾の浅藻の家並み

豆酘から豆酘崎へ

豆酘から豆酘崎へ

豆酘崎への道標

豆酘崎への道標

対馬最南端の神崎を見る

対馬最南端の神崎を見る

 2017年4月23日。夜明けとともに厳原の「東横イン」を出発。対馬の南部をまわる。

 県道24号で対馬南部の中心地の豆酘(つつ)へ。

 板置峠を越え、豆酘湾の久和、与良内院を通り、浅藻へ。ここは民俗学者、宮本常一先生の名著『忘れられた日本人』(岩波文庫)に登場する「梶田富五郎翁」の舞台だ。

 昭和25年(1950年)7月、宮本先生はこの地にやってきて、80歳を超えた梶田富五郎翁から、浅藻の集落の開かれていった一部始終を聞いた。

「わしが、初めてここへ来たのが7つの年じゃった。まだ西も東もわからん時でのう。わしは親運がわるうて、3つの年におやじに死なれ、おふくろもその頃死んだ。兄弟もみな早に死んでのう。身内の者といえば叔母が一人おって、そこへ引きとられた。ところが政村治三郎という人に子がのうて、育ててみようちうて、そこへ引きとられて7つまでそこにいた。子供のころのことはあんまりよう覚えとらんが、叔母の家が菓子屋をしていてのう。時々いっては飴玉をもろうてなめるのがたのしみじゃった」

 という話で始まる梶田富五郎翁の生涯には、グイグイと引き込まれていく。

 それと同時に、宮本常一先生の人の話を聞く上手さには驚嘆させられる。宮本先生は人が話されているときには、決して口をはさまない。それが聞き上手の秘訣のようだ。

 浅藻から対馬南部では一番大きな漁港のある豆酘へ。豆酘の町を走り抜け、豆酘崎へ。そこへの途中では、対馬最南端の岬、神崎がよく見えた。

 豆酘崎の灯台まで行き、豆酘の町に戻った。

 豆酘からはさらに県道24号を行く。西海岸を北上し、小茂田の椎根という集落では珍しいものを見た。石屋根の建物で、何か、異国の風物を見るような思いがした。

 小茂田で海を離れ、県道44号で佐須峠を越えて厳原に戻った。

「厳原→厳原」の「対馬南部一周」は97キロ。前日の「厳原→厳原」の「対馬北部一周」は215キロ。合わせると、対馬での走行距離は300キロを超え、312キロになった。対馬は大きな島だ。

「ジクサー150よ、ご苦労さん!」

 機動性抜群のジクサー150なので、「島ツーリング」にはぴったり。島内を自由自在に走りまわることができた。

豆酘崎の灯台豆酘崎の海岸線を見る小茂田から見る対馬・西海岸の海

豆酘崎の灯台 豆酘崎の海岸線を見る 小茂田から見る対馬・西海岸の海

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