カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[81]

投稿日:2020年9月3日

九州一周編 29(2017年4月24日)

ミルクロードを行く

立野駅を出発

立野駅を出発

立野温泉「憩いの家」

立野温泉「憩いの家」

国道57号で大津へ

国道57号で大津へ

大津からミルクロードを行く

大津からミルクロードを行く

 立野駅を出発すると、国道57号で大津まで戻った。

 大津からはミルクロードで阿蘇外輪山の二重峠へ。

 大津から登っていく豊後街道は「清正公道」と呼ばれている。戦国の武将、加藤清正に対して尊敬の念を持っている肥後人は、「清正」とは呼び捨てにはしないで、「清正公」と尊称をつけて呼ぶ。

 二重峠は熊本から江戸への参勤交代路。阿蘇を越え、豊後街道で鶴崎(大分市)に出た。二重峠には旧道の石畳道が残されているが、そこに立つ「豊後街道」の案内板には次のように書かれている。

 この道は藩政時代、肥後と豊後の鶴崎を結ぶ重要な街道として利用されました。
 豊臣秀吉が天下を統一し、加藤清正が肥後に入国すると、熊本から鶴崎までこの道を使い、鶴崎からは船で大坂(大阪)を往復しました。
 江戸時代になり、参勤交代制度が確立すると、細川藩も、江戸往復にこの街道を利用しました。
 街道沿いにには、熊本城の西大手門を起点にして1里ごとの目印となる里数木が植えられ、休憩するところには茶屋が設けられていました。
 この道を谷内に下ると、今でも往時の石畳や茶屋跡が残っています。

 豊後街道は二重峠を越えると阿蘇カルデラに下っていくが、ぼくはそのまま阿蘇外輪山のミルクロードを行った。

二重峠の案内板豊後街道の石畳二重峠からの眺め

二重峠の案内板 豊後街道の石畳 二重峠からの眺め

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