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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[126]

投稿日:2020年11月20日

東北一周編 12(2017年7月20日)

陸奥国総社「陸奥総社宮」

陸奥の総社、陸奥総社宮にやってきた

陸奥の総社、陸奥総社宮にやってきた

陸奥総社宮の拝殿

陸奥総社宮の拝殿

 陸奥国府の多賀城跡から、同じ多賀城市内の陸奥国総社の陸奥総社宮へ。多賀城跡の近くにある。「総社」というと、どういう神社なのか、ちょっとわかりにくが、『広辞苑』には次のように出ている。

そうじゃ【総社・惣社】
参拝の便宜のため、数社の祭神を一ヵ所に総合して勧請(かんじょう)した神社。一国の総社のほか、寺院・荘園などがある。鎮守または一宮が総社を兼ねることもある。

「国府めぐり」で大事なのは、このうちの一国の総社だ。国府、国分寺、総社が「国府めぐり」の3点セットになっている。

 岡山県の総社市のように総社が市名になっているところもあるし、総社や惣社が地名となって残っているところは多い。総社神社や惣社神社のほかに、六所神社はまず間違いなく総社だ。ほぼ全国に総社、総社跡は残っているが、今となってはどこに総社があったのか、わからなくなっている国もある。

 多賀城の陸奥国総社の陸奥総社宮は立派な造りの神社で、今でもしっかりと陸奥の総社としての機能を果たしている。

陸奥総社宮を参拝する陸奥総社宮の本殿陸奥総社宮の案内板には奥州の全式内社、100社がのっている

陸奥総社宮を参拝する 陸奥総社宮の本殿 陸奥総社宮の案内板には奥州の全式内社、100社がのっている

 陸奥総社宮入口の案内には、次のように書かれている。

 醍醐天皇の延喜年中勅して全国より由緒正しき社、三千一百三十二座を神名帳に載せられる。内百八十八座を大社とし、他を小社とす。之を延喜式内社と称し国司に命じて幣帛を供進せしめしが、後に参進の便を図り、之を各国府の地に合祀して総社という。当社は即ち陸奥国一百社を合祀する陸奥総社なり。奥州留守職井沢氏三千刈田の斎田を寄せ、後村上天皇の未だ陸奥の太守として多賀の国府に在せし時、神護祈念を当社に懸け給う。伊達氏また政宗公以来、歴世祈願の事あれば、藩主自ら社参するを例とせり。当社は此の如く多賀国府と不可分の史跡にして東奥鎮護の大社なり。

 このように総社というのは便利な神社で、ここを参拝することによって、東北各地にある延喜式内社(式内社)100社を参拝したことになる。

 総社宮入口の案内板には、それにつづいて、陸奥国の郡ごとの式内社が書かれている。

「延喜式神名帳陸奥國一百座」(大十五座 小八十五座)として、まずは白河郡(七座 大社一座 小社六座)の都都古和気神社(明神大社)、伊波止和気神社、白河神社、八溝嶺神社、飯豊比売神社、永倉神社、石都都古和気神社がのっている。

 白河郡につづいて、刈田郡、名取郡、宮城郡、黒川郡、賀美郡、色麻郡、玉造郡、亘理郡、信夫郡、志田郡、磐城郡、標葉郡、牡鹿郡、桃生郡、行方郡、栗原郡、胆沢郡、新田郡、磐瀬郡、会津郡、田口郡、耶麻郡、斯波郡、気仙郡、安積郡、柴田郡、宇多郡、伊具郡、磐井郡、江刺郡の奥州各郡の式内社がのっている。

 全部で100社。

 ぼくはこれら東北の式内社、全社をまわろうと思っている。

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