カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

『地平線通信』(第13回目)(2016年10月号より)

投稿日:2021年1月19日

イスタンブールへ1万5000キロ

●7月23日、鳥取県の境港に日本全国から9台のバイクが集まりました。1台は2人乗りのサイドカーなので、総勢10名。「道祖神」主催のバイクツアー「賀曽利隆と走る!」シリーズの第18弾目、「目指せ、イスタンブール! シベリア横断&シルクロード横断50日間」に参加するみなさんです。我々は境港からフェリー「イースタンドリーム号」でロシアのウラジオストックに渡り、シベリア横断→カザフスタン縦断→シルクロード横断の1万5000キロを走り、トルコのイスタンブールを目指すのです。我が相棒はスズキの400ccバイクのDR−Z400S。これまでに「ユーラシア大陸横断」、「サハラ砂漠縦断」、「南米アンデス縦断」などを走っています。●7月27日、ウラジオストックを出発し、M60(国道60号)を北へ。雄大な風景の中を時速100キロ超で走ります。ぼくのDRが先頭を走り、その後に参加者のみなさんのバイクがつづくのですが、バックミラーに映る後続のバイクのきれいなラインには胸がジーンとしてきます。●ハバロフスクからはM58(国道58号)でアムール河畔の町ブラゴベシチェンスクへ。2002年にもこのルートを走ったのですが、その時は100キロ以上の区間がダートで、雨に濡れたツルツルの路面にはおおいに泣かされました。それが今では2車線の舗装路。交通量が格段に増え、どの車も時速100キロ以上の高速で走っています。車はトヨタが圧倒的に多いのですが、高級車レクサスの新車も多く見かけます。シベリアの発展を象徴しているかのようなシーンです。ブラゴベシチェンスクからチタまでは2002年当時は、まだ道もなかったのですが、今では2車線のハイウエイが延びています。●チタからはM55(国道55号)でイルクーツクへ。モンゴルへとつづく大草原が地平線の果てまで広がっています。天も地もとてつもない大きさ。地球がまるで円板のように見えてきます。その中をバイクで突き進む解放感、自由感。草原からはハーブの香りが漂ってきます。天然の大ハーブ園といったところです。ウランウデを過ぎると、右手にはバイカル湖が見えてきます。思わず「おー、バイカルよ!」と感動の声を上げました。シベリア鉄道の線路を越え、バイカル湖畔でバイクを止めると、ウエアを脱ぎ捨ててバイカル湖に飛び込みました。湖水は思ったほど冷たくはなく、全身でバイカル湖を感じ、シベリアを感じ取るのでした。●イルクーツクからはM53(国道53号)でクラスノヤルスクを通り、西シベリアの中心都市ノボシビルスクへ。「シベリア横断」は世界の「大河紀行」でもあります。クラスノヤルスクではエニセイ川(全長5550キロ)、ノボシビルスクではオビ川(全長5568キロ)に出会います。クラスノヤルスクにしてもノボシビルスクにしても、北極海の河口からは4000キロも離れているのに、滔々と流れるエニセイ川やオビ川の川幅は1キロ以上もあるのです。日本の川とは比較にならない大きさです。いつの日か、これらの大河の船旅で北極海まで行ってみたいものです。●ノボシビルスクからカザフスタンを縦断し、最大の都市アルマトイに到着。ここでは「アルマトイ」という高層ホテルに泊まりましたが、夜明けとともに起きると、6階の部屋のベランダからは天山山脈がきれいに見えました。BMW1200GSに乗る同室の鈴木さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、天山山脈の雪山を見つづけるのでした。それはまさに至福の時でした。●天山山脈はまさにシルクロードのシンボル。その北側を天山北路、南側を天山南路が通っています。アルマトイを通っているのは天山北路になります。カザフスタンとキルギス、中国の3国国境に聳える天山山脈のハン・テングリ山(7010m)はカザフスタンの最高峰です。そのすぐ南に聳えるキルギスと中国の国境に聳えるポペーダ山(7439m)は天山山脈の最高峰になっています。●8月19日、アルマトイを出発。シルクロード横断ルートを西へ西へと走ります。天山山脈の山裾を行くのですが、天山山脈の山並みは低くなり、やがて視界から消えていきました。ウズベキスタンに入ると、シルクロードの中心都市として2000年以上、栄えてきたサマルカンドに到着。ここでは町の中心のレギスタン広場を歩き、チムール帝国の霊廟グリ・アミール廟を見ました。●それらの世界遺産以上に心に残ったのは、旧市街の町歩きでした。迷路のような小道をひたすら歩き、多くの人たちに出会いました。サマルカンドからはシルクロードの聖地ブハラを通り、中央アジア最後の国のトルクメニスタンへ。国境を越えたところでウラジオストックからの走行距離は1万キロを突破。トルクメニスタンの首都シュハバートからイランに入りました。●イランに入って最初の食事は「チェローカバブー」です。羊肉を串焼きにしたカバブーに長粒米の白飯が添えられています。白飯がチェロー。国境を越えるごとに食べ物が変わっていきますが、その食べ歩きは「アジア大陸横断」の大きな楽しみです。イランではカスピ海沿岸の町々を通ってシルクロード要衝の地タブリーズに向かいましたが、この道はA1。「アジアハイウエー」の一番の幹線です。トルコ国境までが「アジアハイウエイ」で、トルコに入ると「ヨーロッパハイウエー」になります。●トルコの国境の町ドーバヤジットはクルド人の町です。トルコとイラン、イラクの3国にまたがって住むクルド人の人口は約3000万人。その半数がトルコに住んでいます。クルド人は国を持たない世界最大の民族です。独立を目指すクルド人とトルコ軍の争いは絶えることがありません。町外れの軍の基地にはおびただしい数の戦車が並んでいましたが、砲身はドーバヤジットの町に向いていました。●ドーバヤジットからはトルコ中央部のアナトリア高原を横断し、奇岩が林立する「世界の奇景」のカッパドキアへ。その中心のギョレメの町に泊まりましたが、我々の宿は「岩窟ホテル」。イスタンブール到着の前日はシルクロード要衝の地サフランボルに泊まりました。ここにはキャラバンサライ(隊商宿)が残っているのですが、我々の宿はそのキャラバンサライでした。●9月6日、欧亜を分けるボスポラス海峡をフェリーで渡ってイスタンブールに到着。ウラジオストックを出発してから42日目のことでした。1万5000キロを走り切ってのイスタンブール到着です。ウラジオストックで泊まった「赤道ホテル」の前で、「目指せ、イスタンブール!」と全員で大声を張り上げて走り出したシーンが、無性になつかしく思い出されてくるのでした。(賀曽利隆)

ロシアのウラジオストックから1万5000キロを走ってトルコのイスタンブールに到着。「アジア大陸横断」、終了!

▲ロシアのウラジオストックから1万5000キロを走ってトルコのイスタンブールに到着。「アジア大陸横断」、終了!

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