『地平線通信』(第14回目)(2017年2月号より)
投稿日:2021年1月20日
旅は、記録だ!
●2017年も早いもので2月になりました。あっというまに過ぎ去った1月ですが、みなさんはどのように過ごしましたか。ぼくは「冬もバイクの季節!」とばかりに、バイクを走らせていましたよ。1月1日の「初日の出ツーリング」では相模湾に昇る初日の出をみました。1月3日は「富士山一周」。御殿場を出発点にして、反時計回りで富士山を一周しました。富士五湖や朝霧高原、十里木高原ではきれいな富士山を見ることができました。その間では須走の富士浅間神社(東口本宮)、富士吉田の富士浅間神社(北口本宮)、富士宮の浅間大社を参拝しました。●1月5日は箱根です。箱根峠から芦ノ湖スカイライン→箱根スカイラインと走りました。芦ノ湖スカイラインの杓子峠、三国峠からはやはりきれいな富士山を見ることができました。翌1月6日も箱根です。箱根峠から今度は箱根新道経由で椿ラインに入り、湯河原に下りましたが、大観山から見る富士山はすばらしいものでした。この時期は富士山を見るのには最高の季節なのです。1月10日は箱根峠から伊豆スカイラインに入り、伊豆半島をまわりました。●1月11日は山梨県の道志村です。道志川沿いの国道413号は何とか走れましたが、一歩、脇道に入るといたるところがツルンツルンのアイスバーン。そこで見事にステーンと滑り、腰を強打しました。今年の初滑り。アイスバーンで転倒すると、自分の足もツルツル滑るので、バイクを起こすのが大変なのです。それでも何とかバイクを起こすと腰の痛みに耐えて走りつづけ、最後は山伏峠を越えて山中湖畔に出ました。●最強寒波襲来の1月14日から1月16日までは大雪の信州を走りました。中央道の須玉ICから国道141号で野辺山峠を越えて信州に入ったのですが、時間は午前11時を過ぎているというのに気温は氷点下8度。強烈な寒さでした。佐久では路面に積もった雪が凍り、路肩の雪溜まりの中を両足ベタ着きで走りました。大雪の上田でひと晩泊り、翌日は長野から国道19号で松本へ。その間で一番、雪に降られました。●ボソボソと降りつづく雪の中を走りつづけたのです。ヘルメットのシールドに雪がベタッと張り付いてしまうので、左手で雪をはらい除けながら走るのです。それでもすぐに前方が見えなくなってしまいます。そこでシールドを上げて裸眼で走ることが多くなるわけですが、雪がブスブスと目に突き刺さり、あまりの痛さに耐えかねてまたシールドを下すといった繰り返し。松本に到着したときは心底、ホッとしました。松本でひと晩泊り、塩尻峠を越えて諏訪に入ると抜けるような青空。諏訪の午前10時の気温は氷点下6度。それでも暖かく感じられるのだから不思議です。路面に雪はまったありませんでした。同じ信州でも北信と南信では、これだけ違うのです。●1月21日は房総半島の「林道走破行」。三浦半島の久里浜から東京湾フェリーで内房の金谷に渡り、そこから金谷元名林道(ダート6・9キロ)→山中林道(ダート3・5キロ)→大山林道(ダート1・2キロ)→横尾林道(ダート8・7キロ)→高山林道(ダート1・5キロ)→柚の木林道(ダート6・4キロ)と6本の林道を走りつないで房総半島を横断。外房海岸の鴨川に出ました。●1月24日〜1月25日は、3月11日に出発する東北太平洋岸の「鵜ノ子岬→尻屋崎」(今回で第17回目になります)の前哨戦で、「洲崎→鵜ノ子岬」を走ってきました。房総半島西端の洲崎は東京湾と太平洋を分ける岬。そこから太平洋岸を北上し、房総半島最南端の野島崎、勝浦の八幡岬、九十九里浜が始まる太東崎と岬をめぐり、九十九里浜が尽きる飯岡の刑部岬の展望台から飯岡の町並みと飯岡漁港を見下ろしました。真っ赤な夕日が太平洋に落ちていくと、その右手の水平線上には何と富士山がチョコンと見えているではないですか。驚きの光景。●夕日が沈むと飯岡温泉「いいおか潮騒ホテル」に泊まりました。翌日は犬吠埼に寄って銚子へ。銚子からは利根川を渡って茨城県に入り、大洗、日立と通って福島県境へ。大津波で大きな被害を受けた大津漁港の復興はかなり進んでいました。そして最後に関東と東北を分ける鵜ノ子岬に立ったのです。関東側の平潟漁港は水揚げされた魚介類が仕分けされ、運びだされているところで大にぎわい。ここでは若い女性の姿を多くみかけました。東北側の勿来漁港に行くと、まったく人影はなく閑散としていました。あまりにも対照的な光景。鵜ノ子岬を後にすると、いわき勿来ICから常磐道に入り、高速道で東京に向かうのでした。●こうして1月もバイク旅をつづけましたが、この時期は我がバイク旅の記録の整理で忙しいのです。まずは1年間(2016年)の旅のメモ帳を見て旅した日数とバイクで走った距離を出します。昨年の旅した日数は163日で、通算すると7273日になりました。バイクで走った距離は5万1307キロで、通算すると151万9518キロになりました。この通算の記録というのは、20歳の時に「アフリカ大陸縦断」に旅立った1968年4月12日以降のものです。●旅の日数の7273日ですが、そのうちの国内の旅の日数が4075日と「4000日」を超えました。これはぼくにとってはすごくうれしいことなのです。というのは日本観光文化研究所をおつくりになった民俗学者の故宮本常一先生の、生涯をかけて日本を旅された日数が4000日だったからです。「先生、カソリも4000日を超えましたよ」というと、「なぁ、カソリ君、中身が大事じゃよ」という先生のお言葉が聞こえてくるようでした。ぼくの旅の日数が4000日を超えたのは1994年。46歳の時のことでした。その時の日本を旅した日数は1616日でした。●日数と距離の次は、我が旅のメインテーマである温泉と峠の記録の整理です。昨年は128湯の温泉に入り、そのうち39湯が初めての温泉なので、通算すると1927湯(2006年〜2007年の「温泉めぐり日本一周」で入った3063湯は含まれていません)になりました。ぼくの温泉のカウント方法は1温泉地1湯。この通算の記録というのは、温泉めぐりを始めた1975年2月21日以降のものです。●峠は153峠を越え、そのうちの11峠が初めての峠で、通算すると1688峠になりました。この通算の記録というのは峠越えを始めた1975年3月28日以降のものです。温泉も峠も、何回その温泉に入り、何回その峠を越えたかを記録しています。一番多く入っているのは福島県の木賊温泉で26回になります。一番多く越えている峠は栃木・福島県境の山王峠で37回になります。なお神奈川県伊勢原市の我が家に近い善波峠、津古久峠、土山峠、牧馬峠、御殿峠の5峠は、カウントする峠には含めていません。●ぼくは旅は記録だと思っています。こうして旅の記録をまとめると、自分のいままでにやってきたことを振り返ることができるだけでなく、これから先も、ますます「旅をつづけたい!」という気持ちが強くなってくるのです。(賀曽利隆)
※2020年度までの「カソリの旅の記録」をまとめました。旅した日数は8119キロ、バイクで走った距離は173万8264キロになりました。