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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[162]

投稿日:2021年4月8日

東北一周編 48(2017年7月24日)

「徐福伝説」日本最北の地

小泊から下前漁港への道

小泊から下前漁港への道

小泊半島の権現崎を望む

小泊半島の権現崎を望む

 小泊漁港のある小泊を出発し、小泊半島を越えて反対側に出る。半島の北側が小泊漁港で、南側は下前漁港になる。小泊漁港も下前漁港も活気のある漁港だ。

 下前漁港の前を通って権現崎(小泊岬)に向かったが、岬への道は通行止。以前、権現崎まで行ったことがあるが、駐車場から山道を登り、高さ200メートル以上の断崖の上に出ると、そこには尾崎神社がまつられていた。断崖から下をのぞき込むと、はるか下の方に灯台が見えた。

 下前漁港の食堂「磯や」で昼食にする。ここの名物の「サザエ丼」を食べたが、丼飯がまったく見えないくらいにサザエの刺身がのっている。新鮮なサザエのコリコリシコシコ感がたまらない。

 権現崎は徐福伝説の地。ということで下前漁港には「徐福像」が建っている。それには次のように書かれている。

 紀元前219年、徐福は中国の始皇帝に巡幸の時に出会た。東の海中に蓬莱という神の山がる。そこには仙人が住んでいて、不老長寿の仙薬がある。私は童男女数千人を引き連れて海を渡り、この薬を求めて参りたいと進言した。すると不老不死を望んでいた始皇帝は大いに喜び、若い男女三千人と五穀の種、いろいろな道具、各分野の技術者を与えて、東海に派遣させた。ところが徐福は日本に広い平原の地を得て王になり、中国には帰ってこなかった。

(司馬遷「史記」による)

 小泊の徐福伝説は資料によると、
「人皇七代孝霊天皇七十二年、秦の徐福、当津軽権現崎の海岸に漂着した。神主尾崎氏は徐福の子孫で、徐福の霊を深く祭る。」
 と記録されています。

 徐福は尾崎山で仙薬の行者ニンニクなどを採り、薬草や漁法を教えて、この地の人たちと生活をともにしたと伝えられています。権現崎頂上の尾崎神社には航海の神として徐福像が祀られています。

 徐福伝説の地は日本各地にある。

 三重県熊野市には徐福ノ宮がある。

 和歌山県新宮市の徐福公園には徐福の墓がある。

 京都府伊根町には徐福の上陸地だとのいい伝えがあり、この地で不老不死の仙薬をみつけたという。

 このほかにも福岡県や佐賀県、鹿児島県などにも徐福伝説の地があり、青森県の権現崎は日本最北の「徐福伝説」の地になっている。

下前漁港権現崎への道は通行止権現崎の案内図

下前漁港 権現崎への道は通行止 権現崎の案内図

下前漁港の徐福像下前漁港の「磯や」で昼食「磯や」の「サザエ丼」

下前漁港の徐福像 下前漁港の「磯や」で昼食 「磯や」の「サザエ丼」

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