カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[214]

投稿日:2021年6月7日

北海道一周編 32(2020年4月13日)

「黄金道路」を行く

 猛烈な風の吹き荒れる襟裳岬を出発。烈風に吹かれながら、広尾を目指して道道34号を北上。庶野で国道336号に合流し、「黄金道路」に入っていく。

「黄金道路」の記念碑の建つ展望台でジクサー150を止め、海岸スレスレに走る黄金道路を眺める。日高山地の山並みはストンと海に落ちている。

「黄金道路」の記念碑には、次のようにその歴史が記されている。

 寛政10年(1798年)、幕府直使の近藤重蔵は、クナシリ、エトロフを巡視し、その帰途、広尾に至って風雨に行く手を阻まれた。往来に難渋し、従者下野源助に指揮させ、ルベシベソからビタタヌンケまでの山道12粁(キロ)を開削した。これは蝦夷地における道路開設の嚆矢(こうし)である。

 寛政11年(1799年)、浦河以東が幕府の直轄支配となり、最上徳内らによってビタタヌンケ、ホロイズミ間の約20粁の猿留山道が開かれた。

 しかしその後、道路は荒廃をきわめ、北海道庁は明治24年から工費2万5000円を投じて道路の改修を行った。それでも人馬が辛うじて通れる程度のものであった。

 本道の開発が進むにつれて、陸上輸送路の確保が切望され、本格的な道路建設に昭和2年に着手。以来8年の歳月と94万円余りの巨費を要し、幾多の苦難を経て昭和9年に完成した。この時、広尾、庶野間の約30粁は、1尺あたり10余円の費用がかかったことから、「黄金を敷き並べたような道路だ」として、「黄金道路」の名が付けられたと言われる。

 さらに、交通の増加と落石、雪崩などに備えて、庶野、ビタタヌンケ間約15粁の改築が室蘭開発建設部によって昭和42年に着工され、昭和58年に竣工した。

 黄金道路は日高と十勝を結び、また日高山脈襟裳国定公園の「えりも黄金ライン」として重要道路であり、開削以来この道路に注がれた先人達の心血を深く銘記すべきである。

「黄金道路」の展望台から広尾に向かっていくと、「えりも黄金トンネル」(全長4941m)に入っていく。2011年に完成した北海道の最長トンネル。つづいて目黒トンネル(1876m)、新宝浜トンネル(2438m)、タニイソトンネル(2020m)と長大なトンネルを走り抜け、広尾の町に入っていった。

襟裳岬を出発「黄金道路」を行く「黄金道路」の記念碑

襟裳岬を出発 「黄金道路」を行く 「黄金道路」の記念碑

展望台から「黄金道路」を眺める「黄金道路」沿いに残る雪広尾に到着

展望台から「黄金道路」を眺める 「黄金道路」沿いに残る雪 広尾に到着

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