カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[217]

投稿日:2021年6月11日

北海道一周編 35(2020年4月13日)

和商市場で「釧路ラーメン」を食べる

道道1038号から国道38号に入る

道道1038号から国道38号に入る

白糠の町の案内図

白糠の町の案内図

恋問海岸にやってきた

恋問海岸にやってきた

 国道336号→道道1038号で太平洋の海岸を走り、国道38号に出た。

 国道38号で釧路へ。その途中では白糠の町に寄った。

 白糠の町を過ぎると国道38号は太平洋岸の道になる。

 恋問海岸でジクサー150を止めると、長く延びる砂浜を歩き、道の駅「しらぬか恋問」で「たい焼き」を食べるのだった。

 恋問海岸を出発。大楽毛(おたのしげ)で国道38号はバイパス(釧路外環状道路)と旧道に分かれるが、旧道で阿寒川、新釧路川を渡り釧路の町に入っていく。

 釧路駅前から和商市場へ。北海道の三大市場の和商市場を歩く。和商市場といえば「勝手丼」が名物だが、今回は「釧路ラーメン」を食べた。釧路ラーメンの「かに足ラーメン」。かに足のたっぷり入ったラーメンだ。

恋問海岸を歩く恋問海岸の道の駅「しらぬか恋問」の「たい焼き」国道38号で阿寒川を渡る

恋問海岸を歩く 恋問海岸の道の駅「しらぬか恋問」の「たい焼き」 国道38号で阿寒川を渡る

釧路に到着。和商市場を歩く和商市場の名物は「勝手丼」和商市場で「釧路ラーメン」を食べる

釧路に到着。和商市場を歩く 和商市場の名物は「勝手丼」 和商市場で「釧路ラーメン」を食べる

「ラーメン」は北海道遺産になっている。

「札幌ラーメン」は別格として、「函館ラーメン」、「釧路ラーメン」、「旭川ラーメン」が北海道のラーメンの御三家だ。

「ラーメン」は北海道遺産であるばかりでなく、今や日本の国民食。その「ラーメン」の名前が定着したのは、わずか5、60年前のことでしかない。

 戦前は「支那そば」といっていた。メンマも「支那竹」だった。それが戦後、中国・東北地方から戻ってきた人たちが「拉麺」の言葉を広めた結果、「支那そば」のことを「ラーメン」というようになった。その発祥の地は札幌。「ラーメン」を漢字で書くと「拉麺」になるが、名前と中身の違うものになって日本に定着した。

 中国製スズキのQS110を走らせての「旧満州走破行」(2004年)では、おおいなる興味を持って麺の本場、中国東北部の各地で麺を食べた。麺を食べるだけでなく、食堂の調理場をのぞかせてもらい、麺職人の麺づくりを見た。

 水田での稲作よりも、畑作での小麦づくりの方がはるかに盛んな中国東北部から華北にかけての一帯は、世界の「麺文化」の中心地になっている。

 中国の麺職人たちは、まるで魔術師のように麺を作り上げる。。

 たとえば拉麺(ラーメン)だ。こねた小麦粉を手で引っ張り、ブルンブルンふりまわし、あっというまに細長く延ばしていく。手先の力加減ひとつで太麺や細麺を自由自在につくり出す。なんとも豪快で華やかな拉麺づくり。「どうして手だけで、こうも簡単に麺ができてしまうのだろう」と驚きの目で見た。

 あちこちに「拉麺」の専門店があるが、食べ方は汁ありと汁なしの2通り。牛骨スープなどの汁ありの拉麺には牛肉やゆで卵、香菜(中国料理には欠かせない香辛料)などの具が入っている。汁なしの拉麺は卵やトウモロコシ粉、味噌などでからめたソースを麺の上にのせて食べる。スパゲティー風の食べ方だ。

 拉麺に似ているのが抻麺(チャンメン)。抻麺の本場は華北・甘粛省の蘭州で、「蘭州抻麺」の看板を掲げた専門店を各地で見た。拉麺づくりに比べると、抻麺づくりはもっと手元でコチョコチョという感じでつくってしまうが、やはりこねた小麦粉を手だけでつくる。その速さは拉麺以上。

 刀削麺はこねた小麦粉を小刀をつかってパパパパパッと削り、目にもとまらぬ速さで沸騰した大鍋の湯の中に入れていく。

 手延麺は日本でもおなじみの麺の作り方だが、こねた小麦粉をのし棒でのし、薄く平べったくし、折りたたんで包丁で切って麺にする。

 中国の麺の種類は多様だ。「ラーメン」はそのうちの一種で、麺の作り方の一種ということになる。これらの手づくり麺は日本でいえば「うどん」。うどん類を総称して「麺条(メンティヤォ)」といっている。

 戦前までの日本人にとってのラーメンは、淡白な、さっぱりとした味わいの「支那そば」だ。「支那そば」といえば主流は家庭料理で、製麺屋で麺を買い、支那そばをつくった。それが札幌発祥の「札幌ラーメン」が誕生すると、ラードをたっぷり使い、炒めたモヤシをたくさん入れたり、具を多様化させたり、より脂ぎったスープにすることで家庭料理を離れ、一気に外食の花形になっていった。

「ラーメン」は北海道で誕生した。終戦後、満州から引き揚げてきた人たちが「すすきの」に屋台を出し、「ラーメン」の名前を広めたのだ。北海道遺産の「ラーメン」は、日本の食文化を大きく変えた。

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