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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[262]

投稿日:2021年11月23日

北海道一周編 80(2020年4月18日)

雷電岬から弁慶岬へ

岩内を出発

岩内を出発

雷電岬の「刀掛岩」

雷電岬の「刀掛岩」

寿都の鰊御殿

寿都の鰊御殿

寿都の町

寿都の町

寿都漁港

寿都漁港

 岩内から国道229号を南下。雷電岬には「刀掛岩」と呼ばれる大岩がある。義経主従がこの地で休憩したとき、弁慶の刀が大きすぎて置くことができず、「エイッ!」とばかりに岩をひねってつくった刀掛けだという。また弁慶が背負っていた薪を降ろしたという「薪積岩」もある。

 寿都町に入ると、国道229号沿いには寿都の鰊御殿が残されている。ここは以前、旅館をやっていたが、その時に泊り損ねてしまった…。

 寿都の町に入ると寿都漁港に寄った。

 寿都の町を過ぎたところでは弁慶岬に寄った。ここでは猛烈な風が吹き荒れ、ジクサー150は危うく吹き飛ばされるところだった。

 弁慶岬には弁慶の銅像が建っている。大男の弁慶は高下駄をはき、右手には薙刀を持っている。

 弁慶岬の語源はアイヌ語の「裂けたところ」を意味する「ペルケイ」だという。それに「弁慶」の字を当てた。岬の近くには「弁慶の土俵跡」が残されている。ここは弁慶が地元のアイヌ人たちと相撲をとった土俵の跡だという。弁慶のはいていた高下駄をまつる弁慶堂や弁慶が別れの宴を催したという二ツ森の丘もある。

 義経を守り抜いた弁慶の体力と気力を神業と信じ、弁慶を守護神としてあがめる習慣がこの地には色濃く残されている。

「北海道編」の第22回目でもふれたことだが、日高の平取には義経神社がある。神社の祭神は源義経だ。

 義経神社は「競馬の神様」として知られている。毎年2月の初午の日、ここでおこなわれる「初午祭」の「矢刺の神事」には、大勢の馬牧場の関係者や調教師、馬主など競馬に携わる人たちが参列する。

「矢刺の神事」は馬上からその年の凶方に向かって破魔矢を3本放ち、悪魔を降伏させる神事。その際に放たれた矢を拾うと幸運が訪れるということで、参列者たちは我れ先にと争って矢を拾う。これは義経が騎馬武者であり、馬を大事にしたという故事にちなんだ「愛馬息災」、「先勝祈願」の神事なのである。

 義経神社は寛政10年(1798年)、幕府の命を受けた蝦夷地探検家の近藤重蔵がこの地に「義経北行伝説」の残っていることを知り、翌寛政11年に江戸の仏師、橋善啓に義経像を彫らせ、この地のアイヌに祀らせたのがはじまりだという。この平取の義経神社の写真を弁慶岬とからめてもう一度、掲載しよう。

弁慶岬の弁慶像と灯台平取の義経神社の鳥居平取の義経神社の拝殿

弁慶岬の弁慶像と灯台 平取の義経神社の鳥居 平取の義経神社の拝殿

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