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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[275]

投稿日:2022年2月3日

関東一周編 3(2020年5月8日)

相模の国府めぐり(その2)

海老名の相模国分寺跡

海老名の相模国分寺跡

相模国分寺跡前の「温故館」

相模国分寺跡前の「温故館」

「温故館」に展示されている相模国分寺の模型

「温故館」に展示されている相模国分寺の模型

 海老名の相模国分寺跡の前には資料館の「温故館」がある。ここはかつての海老名村役場の建物。館内には相模国分寺の模型や相模国分寺で使用された瓦などが展示されている。発掘された縄文土器や民具の展示もある。

 国分寺跡前のそば店「国分寺そば」で手打ちの「せいろそば」を食べると、国分郵便局の前を通り、相模鉄道の線路を渡ったところにある国分尼寺跡に行く。

 国分寺は男僧用の国分僧寺と女僧用の国分尼寺の2寺から成っているが、国分僧寺の方は単に国分寺と呼ばれている。

 住宅に囲まれた相模国分尼寺跡を歩くと、その一角には庚申堂が祀られていた。

 相模国分尼寺の案内板には次のように書かれている。

 この寺院跡は、相模国分寺跡の北方600mに位置しています。近年、寺域内の発掘調査が数次にわたって実施され、金堂跡のほか、講堂跡と鐘楼跡の基壇の一部が確認されました。その結果、中門・金堂・講堂が南北に並び、講堂の両側には経蔵と鐘楼がつく伽藍配置をとること、規模は相模国分寺より一回り小さいことがわかりました。また、金堂跡の確認調査では、基壇上から桁行5間・梁行4間の大規模な礎石建物跡が見つけ出されました。

 海老名の「国分寺探訪」の最後に、現行の国分寺に行く。現在では国営寺院としての国分寺は1寺も残っていないが、このような後継の国分寺は少なからずある。現行の相模国分寺の近くには、「海老名の大欅」があった。

「温故館」に展示されている縄文式土器「温故館」では民具も見られる相模国分寺跡前の「国分寺そば」

「温故館」に展示されている縄文式土器 「温故館」では民具も見られる 相模国分寺跡前の「国分寺そば」

「国分寺そば」で手打ちの「せいろそば」を食べる海老名の国分郵便局。このあたりの地名は国分ここは相模国分尼寺跡

「国分寺そば」で手打ちの「せいろそば」を食べる 海老名の国分郵便局。このあたりの地名は国分 ここは相模国分尼寺跡

相模国分尼寺跡の一角に祀られている庚申堂相模国分寺跡の近くには現行の国分寺がある現行の国分寺の近くにある「海老名の大欅」

相模国分尼寺跡の一角に祀られている庚申堂 相模国分寺跡の近くには現行の国分寺がある 現行の国分寺の近くにある「海老名の大欅」

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