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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[294]

投稿日:2022年4月29日

中部一周前編 6(2020年5月22日)

三河の国府めぐり

浜松の夜明け

浜松の夜明け

早朝の浜松

早朝の浜松

 5月22日5時、「浜松グランドホテル」を出発。ジクサー150で早朝の浜松の町をを走る。

 浜松からは東海道を行く。舞坂宿には脇本陣が残っている。舞坂宿から弁天島へ。国道1号やJR東海道本線、東海道新幹線の通る弁天島は日本の大動脈。島には東海道本線の弁天島駅もある。

 この弁天島から浜名湖を眺めた。近淡海(ちかつあわうみ)と呼ばれた琵琶湖に対して、浜名湖は遠淡海(とおつあわうみ)と呼ばれたが、それが遠江(遠州)の国名の由来になっている。浜名湖はまさに遠江のシンボルだ。

 舞坂宿の次の新居宿にはかつては舟で渡っていたが、ここには新居関所跡がある。

東海道の舞坂宿弁天島から見る浜名湖東海道の新居関跡

東海道の舞坂宿 弁天島から見る浜名湖 東海道の新居関跡

 新居宿の次の白須賀宿を過ぎると国境を越え、三河に入る。今の静岡・愛知県境だ。

 三河の最初の宿場は二川宿で、ここには本陣跡が残り、見学できる。

 二川宿を過ぎると豊橋に入って行くが、ここは東海道の吉田宿。城下町でもあり、吉田城址から豊川の流れを眺めた。

 国道1号で豊橋市から豊川市に入ると、国道151号を北へ。「日本三大稲荷」の豊川稲荷を参拝し、門前の店で「稲荷ずし」と「きしめん」を食べた。

静岡県から愛知県に入る東海道の二川宿の本陣跡豊橋の吉田城址

静岡県から愛知県に入る 東海道の二川宿の本陣跡 豊橋の吉田城址

吉田城址から見る豊川の流れ「日本三大稲荷」の豊川稲荷豊川稲荷門前の店で「稲荷ずし」と「きしめん」を食べる

吉田城址から見る豊川の流れ 「日本三大稲荷」の豊川稲荷 豊川稲荷門前の店で「稲荷ずし」と「きしめん」を食べる

 豊川稲荷からさらに国道151号を北へ。東名の豊川ICを過ぎたところにある砥鹿神社を参拝する。ここが三河の一宮。

 砥鹿神社の参拝を終えると、国道1号に戻り、東海道の御油(ごゆ)宿に近い名鉄の国府(こう)駅前でジクサー150を止めた。三河の国府に因んだ駅名で、このあたりは旧国府町(現豊川市)。国府病院や国府交番がある。国府駅の近くには総社や国府跡もある。

 三河国分寺跡と三河国分尼寺跡を歩いたが、三河国分尼寺跡は大規模なもので、中門と回廊が復元されている。三河国分寺の梵鐘は文化財となって残されている。

三河一宮の砥鹿神社を参拝砥鹿神社の本殿名鉄の国府駅。ここから三河の「国府めぐり」を始める

三河一宮の砥鹿神社を参拝 砥鹿神社の本殿 名鉄の国府駅。ここから三河の「国府めぐり」を始める

三河国分寺の守護神の八幡宮を参拝三河国分寺跡三河国分寺跡の石碑

三河国分寺の守護神の八幡宮を参拝 三河国分寺跡 三河国分寺跡の石碑

ここは三河国分寺の塔跡三河国分寺の礎石三河国分寺跡を歩く

ここは三河国分寺の塔跡 三河国分寺の礎石 三河国分寺跡を歩く

現行の三河国分寺三河国分尼寺の案内板復元された三河国分尼寺の中門と回廊

現行の三河国分寺 三河国分尼寺の案内板 復元された三河国分尼寺の中門と回廊

三河国分尼寺の金堂跡三河国分尼寺の講堂跡大規模な三河国分尼寺跡を歩く

三河国分尼寺の金堂跡 三河国分尼寺の講堂跡 大規模な三河国分尼寺跡を歩く

岡崎城の天守閣

岡崎城の天守閣

徳川家康の遺訓碑

徳川家康の遺訓碑

 三河の「国府めぐり」を終えると、御油宿から赤坂宿、藤川宿と東海道の宿場を通り、岡崎へ。岡崎城の天守閣に登り、町並みを眺めた。
 岡崎城の天守閣のすぐ下には徳川家康の遺訓碑がある。
「人の一生は重荷を負うて、遠き道をゆくがごとし。いそぐべからず。不自由を常とおもえば‥」で始まる家康の遺訓碑は、亀の石像の上に建っている
 岡崎は城下町であるのと同時に東海道の主要な宿場で、東海道では府中宿に次ぐ賑わいをみせていた。
 岡崎からは池鯉鮒(ちりふ)宿を通り、国境の境川を渡って尾張に入った。境川は小さな流れでよっぽど注意していないと、気が付かないまま通り過ぎてしまう。

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