カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[296]

投稿日:2022年5月5日

中部一周前編 8(2020年5月24・25日)

美濃の国府めぐり

 5月24日5時、中津川の「プラザホテル」を出発。さ〜、美濃(岐阜県)横断だ。

 中津川は東濃の主要都市。東美濃を略しての東濃だが、美濃は東濃、中濃、西濃に分けられる。それに北濃、南濃を加えることもある。

中津川の町並み

中津川の町並み

中山道の大井宿(恵那市)

中山道の大井宿(恵那市)

名鉄広見線の終点の御嵩駅

名鉄広見線の終点の御嵩駅

中山道の太田宿の本陣跡

中山道の太田宿の本陣跡

中山道の鵜沼宿

中山道の鵜沼宿

国宝犬山城の天守閣

国宝犬山城の天守閣

犬山城の天守閣からの眺め

犬山城の天守閣からの眺め

犬山の「みそ煮込みきしめん」

犬山の「みそ煮込みきしめん」

中山道の加納宿

中山道の加納宿

 中津川は中山道の宿場町。ここからは中山道で岐阜に向かう。

 次の大井宿は恵那市の中心地。本陣が残り、高札場が復元されている。大井宿は中山道の面影を色濃く残している宿場だ。

 大井宿からは大湫宿、細久手宿を通って御嶽宿へ。この間は中山道美濃路のハイライトシーンといってもいい。交通量のない細道で、ゆるやかな峠を越えていく。

 大湫宿には古い家並みが残されている。脇本陣の「保々家」、旅籠の「三浦家」、問屋の「丸森森川家」は江戸時代からの建物。宿場の中心の神明神社には樹齢1300年の大杉が空を突いている。

 大湫宿と長久手宿の間では琵琶峠を越えるが、旧道は300年前の姿を今にとどめる石畳の峠道。その長さは600メートルほど。日本一長い石畳だといわれている。

「ちょうちん祭り」で知られる長久手宿にも、旅籠の「大黒屋」のような江戸時代以来の建物が残っている。大湫宿は安藤広重の「中山道69次」では「大久手宿」になっているが、大湫宿、細久手宿の「くて」は湿地を意味するという。

 細久手宿を過ぎると国道21号に合流し、御嶽宿へ。国道21号の南側の中山道沿いには、風情のある宿場町がつづいている。ここでは中山道資料館の「中山道みたけ館」と、公開されている商家「竹屋」を見学した。「竹屋」は本陣の野呂家から分家し、金融業や繭、木材の取引で成功をおさめたという。最後に名鉄広見線の終点、御嵩駅に行く。

 御嶽宿からは国道21号沿いの伏見宿、太田宿、鵜沼宿をめぐっていく。

 伏見宿は宿場の中央を国道21号が通っているので、宿場町の面影はほとんど残っていないが、本陣跡には「是より東 尾州領」の碑が立ち、中山道公園の「一本松公園」がある。

 伏見宿とは対称的に太田宿には宿場町の風情がしっかりと残されている。今は木曽川にかかる太田橋を渡って行くのだが、江戸時代の中山道に橋はなく、渡し舟に乗って渡った。ここでは本陣跡と造り酒屋を見たあと、脇本陣の「林家」を見学。見事な造りの建物で、現存する脇本陣の中では中山道随一といわれている。

 太田宿を過ぎると、国道21号で木曽川沿いに走る。

 本陣跡や「中山道鵜沼宿町屋館」のある鵜沼宿からは木曽川を渡って対岸の犬山へ。愛知県の犬山では国宝の犬山城の天守閣に登り、老舗の「ことぶき家」で「みそ煮込みきしめん」を食べた。

 鵜沼宿に戻ると各務原を通り、岐阜市内の加納宿に入っていく。加納宿は「美濃十六宿」の中でも最大の宿場で、城下町でもあった。

 徳川家康は関ヶ原の合戦後の慶長6年(1601年)、娘婿の奥平信昌を10万石の加納城主にした。加納城の築城は関ヶ原の合戦後では初となるもので、本丸、二の丸、三の丸を備えた堂々とした城だった。

 加納城主は奥平氏のあとは大久保氏、戸田氏、安藤氏と変わりながら十六代目の城主で明治維新を迎えた。そんな加納城だが、今では本丸跡とわずかに石垣が残るのみ。本丸跡の園地は市民の憩いの場になっている。

 岐阜といえば斎藤道三、織田信長の居城の岐阜城が有名だ。加納城はほとんど知られてないが、岐阜城は誰もが知っている。岐阜の中心街を走り抜け、岐阜城に行った。加納城は岐阜市内の南側の平地に、岐阜城は北側の金華山にある。ロープウエイで金華山に登り、復元された岐阜城の天守閣から岐阜の町並みと、茫洋と広がる濃尾平野を流れていく長良川を見下ろした。

JRの岐阜駅名鉄の岐阜駅金華山の麓の岐阜公園

JRの岐阜駅 名鉄の岐阜駅 金華山の麓の岐阜公園

ロープウェイで金華山に登る金華山の岐阜城岐阜城の天守閣からの眺め

ロープウェイで金華山に登る 金華山の岐阜城 岐阜城の天守閣からの眺め

早朝の岐阜を出発

早朝の岐阜を出発

国道21号で大垣へ

国道21号で大垣へ

大垣城にやってきた

大垣城にやってきた

大垣城の天守閣

大垣城の天守閣

大垣の「奥の細道むすびの地」碑

大垣の「奥の細道むすびの地」碑

 岐阜の「東横イン」で泊ると、翌朝は5時に出発。国道21号で大垣へ。

 大垣では大垣城を見たあと、芭蕉の「奥の細道むすびの地」に行った。

 大垣から国道21号で垂井へ。ここが美濃の国府所在地だ。

 垂井は古い家並みの残る中山道の宿場町。ジクサー150で垂井宿を走り抜けると、美濃の一宮の南宮大社に行く。垂井は南宮大社の門前町としてもおおいににぎわった。

 南宮大社の参拝を終えると、「美濃の国府めぐり」を開始。

 南宮大社からまっすぐ北へ。国道21号、JR東海道線、旧中山道を横切り、相川を渡ると府中の集落に入っていく。ここに美濃国府跡がある。整備された国府跡を歩いたあと、美濃総社の御旅神社を参拝する。ここは古くは美濃国府宮と呼ばれていた。

 府中の東側の東府中には美濃国分寺と美濃国分尼寺があるが、残念ながら行きそびれてしまった。また今度、行こう!

 垂井を過ぎると広大な濃尾平野から関ヶ原の山地に入っていく。北の伊吹山地と南の鈴鹿山脈、それと養老山地の合流地点が関ヶ原。ここで世界はガラリと変わる。関ヶ原でもって、「美濃横断」の達成だ。

 中山道(国道21号)の関ケ原宿から巡見街道(国道365号)を南下し、三重県に入った。ここからは「関西編」になる。これにて、「中部一周前編」終了!

美濃の一宮、南宮大社の大鳥居南宮大社の境内案内図南宮大社の楼門

美濃の一宮、南宮大社の大鳥居 南宮大社の境内案内図 南宮大社の楼門

南宮大社を参拝美濃国府の府中(垂井町)を行く美濃国府跡の案内板

南宮大社を参拝 美濃国府の府中(垂井町)を行く 美濃国府跡の案内板

美濃国府跡を歩く美濃総社の御旅神社の鳥居美濃総社の御旅神社を参拝

美濃国府跡を歩く 美濃総社の御旅神社の鳥居 美濃総社の御旅神社を参拝

JR垂井駅前を出発中山道の関ケ原宿国道365号の岐阜・三重県境

JR垂井駅前を出発 中山道の関ケ原宿 国道365号の岐阜・三重県境

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