ジクサー150分割日本一周[329]
投稿日:2022年8月23日
近江の国府めぐり(その2)
信楽を出発し大津へ。信楽ICから新名神→名神→京滋バイパスと走り、石山ICで高速道を降りる。
石山では「西国三十三ヵ所」第13番札所の石山寺を参拝し、近江国分寺(国昌寺)跡の晴嵐小学校(大津市光が丘町)を見る。ここには「近江国分寺址」の石碑が立っている。
晴嵐小学校を後にすると、琵琶湖から流れ出る唯一の川、瀬田川にかかる唐橋を渡り、近江一宮の建部大社へ。ここで目を引くのは「幻の千円札」の案内板。昭和20年(1945年)8月、日本で初めて千円札が作られた。当時の日本の最高額紙幣だ。図柄は中央に縦書きで「千圓」と書かれ、右側には建部大社祭神の日本武尊、左側には建部大社の本殿が描かれている。発行枚数が極めて少なかったので、今では「幻の千円札」と言われている。境内には「ヤマトタケルの西征」から始まり、「ヤマトタケルと白鳥伝説」で終わる日本武尊の劇画が展示されているが、迫力満点!
建部大社の参拝を終えると、背後の高台にある御霊神社へ。このあたりが近江国府跡。御霊神社の上に「近江国衙跡」の石碑。国衙というのは国庁のことで、今の時代でいえば滋賀県庁になる。
高台上の広野の近江国府跡を歩いたあと、名神高速の南側にある瀬田廃寺跡(大津市野郷原)に行く。ここには「瀬田廃寺」の碑と案内板が立っているが、案内板には次のように書かれている。
この瀬田廃寺は、信楽に建てられた近江国分寺が延暦4年(785年)に焼失し、弘仁11年(820年)瀬田川西岸の国昌寺に移されるまでの間、近江国分寺の役割を担っていた可能性が高いという。興味深い近江国分寺の変遷だ。