カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

奥の細道紀行[73]

加賀最後の地 石川県加賀市/2009年  山中温泉から小松に戻ってきた芭蕉だが、その理由は曽良の「随行日記」にもあるように、加賀藩士の生駒万兵衛重信(俳号は万子)に会うためだった。再度、小松を出発した芭蕉は北枝とともに北 […]

奥の細道紀行[72]

秋の気配を想像しつつ 石川県小松市/2009年  山中温泉で曽良と別れた芭蕉は、金沢から同道している俳人、北枝とともに小松に戻った。その途中で那谷寺に寄っている。 那谷  山中の温泉に行くほど、白根が岳跡に見なして歩む。 […]

奥の細道紀行[71]

曽良と別れた「山中温泉」 石川県加賀市/2009年  小松を出発した芭蕉は北国街道を南下し、月津宿を通って動橋宿(加賀市)へ。動橋は難解地名で「いぶりばし」になる。そこで北国街道を離れ、山代温泉を経由して山中温泉に向かっ […]

奥の細道紀行[70]

源平の時代にまで想いを馳せる 石川県小松市/2009年  加賀藩の城下町、金沢をあとにした芭蕉は北国街道で野々市、松任を通り小松へ。  小松の小松城は加賀藩三代目藩主、前田利常の隠居城。徳川幕府は一国一城の制限を設けたが […]

奥の細道紀行[69]

一笑の墓に参る 石川県金沢市/2009年  倶利伽羅峠を越えて芭蕉が到着した金沢は、日本一の大藩、加賀百万石の城下町。江戸時代の金沢は繁栄を謳歌し、江戸、大坂、京都、名古屋に次ぐ大都市だった。  芭蕉と同じように倶利伽羅 […]

奥の細道紀行[68]

東西の境「倶利伽羅峠」越え 富山県・石川県/2009年  芭蕉は高岡を出発すると北国街道を西へ。立野、石動と通り、木曽義仲が戦勝祈願をしたという埴生八幡を参詣し、加越(越中・加賀)国境の倶利伽羅峠に到達した。倶利伽羅峠は […]

奥の細道紀行[67]

絶景「雨晴海岸」 富山県/2009年  滑川で一泊した芭蕉は富山から高岡へと向かう。その道は城下町、富山の北を通っていくルート。岩瀬から舟で神通川を渡り、西岩瀬からは海沿いの街道「浜往来」で方生津を通り、庄川を舟で渡って […]

奥の細道紀行[66]

立山信仰に触れる 富山県/2009年  市振を出発した芭蕉は国境の境川を渡って越後から越中に入った。ここは高田藩と加賀藩の藩境にもなっていた。越中に入った芭蕉は北国街道の宿場、泊、入善、三日市、魚津と通り、滑川で一泊して […]

奥の細道紀行[65]

越後路の名場面「市振」へ 新潟県糸魚川市/2009年  高田を出発した芭蕉は谷浜、名立と日本海沿いの北国街道を行き、能生で一泊する。翌日は糸魚川から北国街道最大の難所、子不知・親不知を通り抜け、越後路最後の市振宿で泊って […]

奥の細道紀行[64]

直江津、高田と城下町を行く 新潟県上越市/2009年  芭蕉の越後路の旅はつづく。出雲崎を出発すると北国街道を南へ。柏崎を通り、鯨波海岸から青海川を渡り、聖ヶ鼻を過ぎた鉢崎で泊まっている。かつてはここに関所があったという […]

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